ジョン・レノン
ジョン・レノンってどんな人1 ビートルズのメンバー
連載第9回目:2011年5月28日付掲載
平和な世界を想像してごらんと歌った「イマジン」。愛と平和を音楽や言葉を通して伝えた音楽家、ジョン・レノン(1940〜80年)とは一体どういう人だったのでしょうか。
ジョンが最初に有名になったのは1960年代に活躍した「ザ・ビートルズ」という音楽グループの一員としてでした。イギリス出身の4人組で、ギネスブックには「世界で一番成功したグループ」として記録されています。
ビートルズのCDは世界で10億枚売れたと言われています。しかし今でもCDは売れ続けているので、全部でどれくらい売れているのか、正確には分かりません。
ビートルズは世界各地に演奏旅行に行きました。あまりにもファンが集まるので、初めて野球場でコンサートをしました。日本武道館でロック・コンサートをしたのもビートルズが最初です。
1970年にビートルズは解散しますが、その後もメンバーはそれぞれに音楽活動を続けていきました。なかでもジョン・レノンは、「歌はメッセージ」と考え、愛や平和、時には悲しみや苦しみを歌にしました。子どもたちのためのチャリティー・コンサートなど、ジョンは、誰かを助けるためにしかコンサートをしませんでした。夫人のオノ・ヨーコさんと共にいろいろな平和活動もしました。
ジョンは当時の他の音楽家とはちょっと違っていたようですね。小さいころのジョンは、自分は人とは違うのではないかなと感じていたようです。さて、次回はジョンがあなたたちと同じ、小学生だったころを振り返ってみたいと思います。
ジョン・レノンってどんな人2 少年ジョン
連載第10回目:2011年6月4日付掲載
ジョン・レノンは第二次世界大戦中の1940年10月9日、イギリスのリバプールで生まれました。父親の名前はアルフレッド、母親の名前はジュリアといいます。父親は船員で、いつも船旅をしていて、ジョンが生まれた時でさえ、どこにいるのか分かりませんでした。母親はそんな父親と別れるつもりで、他の男性と暮らし始めました。そのためジョンの面倒をみることができませんでした。
そんなジョンをかわいそうに思った母親の姉、ミミ伯母さんにジョンは引き取られることになります。両親と暮らすことのできなかったジョンは、寂しさもありましたが、ミミ伯母さんとジョージ伯父さんの愛情に包まれ、すくすくと成長していきます。
ジョージ伯父さんの日課は、幼いジョンをひざにのせて新聞を読むことだったそうです。この新聞を読んでいるあなたたちのように、ジョンも小さなころから新聞を読んでいたのですね。
ミミ伯母さんの家にはたくさんの本がありました。ジョンは本を読むのが大好きになり、とくに「不思議の国のアリス」がお気に入りでした。読んでいるうちに登場人物を絵に描いたりして、絵も大好きになりました。
小学校6年生のころには自分で絵や文章を書いたり、雑誌を切り抜いたりして手づくりで雑誌を作っては、みんなに見せて喜ばせていたそうです。少年のジョンは自分でいろいろな物を考え、作ることがとても大好きで得意でした。
ジョンは、そんな人とは違う力を不思議に感じていたようで、自分はおかしな人か、天才のどちらかだろうと思っていたそうです。ジョンのその力は、のちに世界を変えていくことになります。
ジョン・レノンってどんな人3 若者の代表者
連載第11回目:2011年6月11日付掲載
ジョン・レノンが作ったグループ「ザ・ビートルズ」のメンバーは、ジョンの他にポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターです。グループが実際に活動したのは、1962年のデビューから70年の解散までの8年間と、とても短い期間でした。
しかし、その間にビートルズは音楽の歴史を変えてしまうほど、人の心を動かすたくさんの歌を作り、世界中の人々から愛されました。彼らが愛された理由は、歌のメロディーが美しかったり、楽しかったり、覚えやすかっただけではありません。4人はいつも正直であろうとしました。
人気者のアイドルであるよりも、普通の若者のように思ったままを口にし、感じたままを歌にしてきました。戦争や人種差別について自分の考えを発表したりもしました。そんなアイドルは誰もいなかった時代にです。とくにジョンは間違っていると思うことがあれば、正直に間違っていると発言しました。
ビートルズが活動していた1960年代、アメリカはベトナム戦争をしていました。若者たちは行きたくなくても、兵隊として戦場に行かねばなりませんでした。ジョンは「僕はどんな戦争でも反対だ」と自分の思ったことを正直に発言しました。ジョンの発言に「戦争が嫌なのは僕だけじゃないんだ」と励まされた若者が大勢いたことでしょう。
そんなビートルズは世界中の若者たちのあこがれで、若者たちの生き方にもさまざまな影響を与えました。ビートルズは若者の代表者として、新しい時代を作っていったのです。
ジョン・レノンってどんな人4 ヨーコとの出会い
連載第12回目:2011年6月18日付掲載
ジョン・レノンはビートルズ活動中に日本人芸術家オノ・ヨーコと出会います。ヨーコの個展でジョンが初めて見た作品は「釘を打つ絵」でした。真っ白なキャンバスと金づちが壁に飾ってあるだけの作品で、見た人がキャンバスに釘を打つというユニークなアート作品です。
これを見たジョンは「釘を打ってもいいですか?」とヨーコに尋ねます。ヨーコは「まだオープン前ですから、そういうことは困ります」と答えました。でも、ジョンががっかりしているのを見て、ヨーコは「じゃあ、5シリング(注・当時のイギリスの通貨)で打っていいです」と言います。するとジョンは「想像のお金を払うので、想像の釘を打っていいですか?」と答えました。ふたりはにっこり笑いました。ものに対する感じ方が同じだったのです。
ヨーコの自由な作品に共感したジョンはこう思いました。「自分が思った通りに表現していいんだ」と。そしてジョンは、世界一の音楽グループとしているよりも、もっと自由に愛や平和を表現したいと感じたのです。
こうして、ジョンとヨーコは次々にユニークな平和活動を行います。「どんぐりを植えるイベント」やふたりがベッドに寝ているだけの「ベッドイン」というアート・パフォーマンスなどです。これについてはまたご紹介します。
やがてふたりは、イギリスからアメリカへと自由を求めて引っ越します。1980年にジョンは死んでしまいますが、その愛と平和や人間らしさを求める心は、今でもみんなの心に生きています。
ニューヨークのジョン1 ストロベリー・フィールズ
連載第17回目:2011年7月23日付掲載
今年、毎小の夏ツアーはアメリカ・ニューヨークだそうですね。ニューヨークはジョンが愛し、40歳で亡くなるまで過ごした街でもあります。ジョンはイギリス人ですが、世界の中心といわれたニューヨークで活動することを望みました。ニューヨークに「自由の女神が招いてくれた」とジョンは言っています。
ジョンが住んでいたダコタハウスには、今もオノ・ヨーコさんが住んでいます。ダコタハウスは、1884年に建てられました。日本では明治17年です。映画のロケ地としても有名で「ローズマリーの赤ちゃん」や「バニラ・スカイ」といった映画に登場する建物です。
ジョンはダコタハウスで作曲したり、家族と過ごしたり、ニューヨークでの日々を送ります。ジョンが住んだダコタハウスの部屋からは、大きな公園が一望できますが、これがセントラルパークです。ジョンはこの公園をヨーコさんと散歩するのが大好きだったそうです。
セントラルパークには、そんなジョンの思い出を刻んだ「ストロベリー・フィールズ」というメモリアルパークがあります。ジョンの曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」にちなんだ名前です。地面には円形の記念碑もあり、その真ん中には「IMAGINE」と書かれています。
毎年、ジョンの命日の12月8日は世界中のファンがジョンをしのんでここに集まります。普通の日でも、必ず誰かファンが来ていたり、お花が供えられています。みなさんもニューヨークに行くことがあったら、ぜひ寄ってみてくださいね。
セントラルパークの「ストロベリー・フィールズ」にある「IMAGINE」の碑。8月23〜29日に開催する毎小主催の平和学習ツアー「9.11の現場で平和を考える」では、7月28日にヨーコさんと一緒に広島から発信する平和への希望のメッセージを引き継ぎ、ニューヨークからも発信します。
10月9日はジョンの誕生日 解散後はチャリティーだけ
連載第28回目:2011年10月8日付掲載
少年時代のジョン・レノン
Courtesy of Ono Lennon
あす10月9日はジョン・レノンの誕生日です。ジョンは誕生日にちなんで、自分のラッキーナンバーは「9」だと決めていたそうです。「ナンバー9ドリーム」や「レボリューション9」など、「9」の付く曲も作っているんですよ。
ジョンの誕生日には毎年、アイスランドにある平和のための光の塔「イマジン・ピース・タワー」の点灯式が行われます。今年で5回目です。ジョンの誕生日から12月8日の命日までをヨーコさんは平和を考える期間にしようと、その間、ピースタワーは点灯されます。イマジン・ピース・タワーはジョンが好きだったヨーコさんの詩を実現したもので、塔の周りには、世界中から集まったみんなの願いを永久に保管しています。
そして、今年もジョンの命日には日本武道館でドリーム・パワー・コンサートが開催されますが、ジョンはビートルズが解散してから、徹底して「コンサートはチャリティーでしかやらない」という姿勢を貫きました。暴動によって命を落とした犠牲者の家族のために、難病の子どもたちのために——。
ビートルズで自分は大成功したから、今度は世界のためになることをしたい——ジョンのこの思いはドリーム・パワー・コンサートに引き継がれています。ジョンの志は、私たちの住む日本にも根づいているのです。
イマジン・ピース・タワー。ドリーム・パワー・コンサートのホームページで、今の様子を見たり、願いを送ったりすることができます。