ジョンとヨーコの平和活動
ジョンとヨーコの平和活動1 どんぐりを植える
連載第13回目:2011年6月25日付掲載
今回から3回にわたって、ジョンとヨーコのユニークな平和運動を紹介したいと思います。まずは、みなさんもよく知っている「どんぐり」を使った平和運動です。
「どんぐりを植えるイベント」は、1968年6月にイギリスのコンベントリー大聖堂の庭で行われました。ジョンとヨーコは2個のどんぐりのひとつを東に、もうひとつを西に向けて地面に植えました。西洋人のジョンと東洋人のヨーコが出会って愛し合ったように、西洋と東洋の人々が理解し合って、世界が平和になるようにと、どんぐりに願いを込めて埋めたのです。ふたつのどんぐりは西洋と東洋がひとつになることを象徴しています。
これをふたりは「生きているアート」と呼びました。どんぐりが芽生え、木になり、枯れ、そしてまたその木に実ったどんぐりが芽生える——という永遠に続く生命活動そのものを、アートとしてとらえた作品だからです。ジョンはこのイベントで「近いうちに東と西がひとつになることを望みます」と話しています。
もうひとつどんぐりを使った平和運動があります。ジョンとヨーコは世界各国の大統領や首相、すなわち国のリーダーと呼ばれている人たちに、小さな箱に入れたふたつのどんぐりを「愛と平和の小包」として送りました。そのふたつのどんぐりがそれぞれの国で植えられ、2本の木に育つようにと平和の願いが込められていました。
日本にも、当時の総理大臣、佐藤栄作首相に送られています。チリの大統領に送られた小包は当時チリが内戦状態だったため、返送されてきました。しかし、今でも小包のなかでは、ふたつのどんぐりが、東と西の文化が結ばれて世界が平和になるその日を待っています。
ジョンとヨーコの平和活動2 バッグ・ピース
連載第14回目:2011年7月2日付掲載
今回紹介するジョンとヨーコのユニークな平和運動は「バッグ・ピース」です。文字どおり、「バッグ(袋)」を使った平和運動で、「バギズム」とも呼ばれます。
ロンドンで開かれた芸術家のクリスマスパーティーに招待されたときや、自分たちの映画の試写会で記者の質問に答えるときに、大きな袋に入ってふたりが登場したのが始まりです。
人の話を聞くときや人と接するときに、見た目で人を判断してはならないというふたりの考えに基づくものでした。話している人が袋に入ることで、相手には、中の人が黒人なのか、白人なのか、黄色人種なのか、わかりません。男性か女性かは声で判断できるかもしれませんが、年齢や服装など、袋の中の人がどんな外見をしているのか、全くわからないのです。
ジョンとヨーコは、人の話を聞くときは、外見で人を差別したりせず、その人が話す内容を真剣に聞きましょうと、みんなに伝えたかったのです。
ヨーコさんは、このアイデアをサン=テグジュペリが書いた本「星の王子様」でキツネが語る言葉、「大切なことは目には見えない」からヒントを得たと言っています。当時、ジョンは世界の大スター「ザ・ビートルズ」のメンバーでした。しかし、ジョンは有名人だから自分の話を聞いてもらうのではなく、ひとりの人間としてみんなに平和のメッセージを聞いてもらいたかったのです。
「ふざけすぎている」と非難する人もいました。しかし、ジョンは、たとえ自分たちがばかにされても、「世界が少しでも良くなるんなら、僕とヨーコは喜んでピエロになるよ」と言っています。
ジョンとヨーコの平和活動3 ベッド・イン
連載第15回目:2011年7月9日付掲載
ジョンとヨーコのユニークな平和運動は他にも、「戦争するより愛し合おう」とアピールした「ベッド・イン」や、「WAR IS OVER! IF YOU WANT IT(戦争は終わる! あなたが望むなら)」と世界中にポスターや看板を張り出した平和キャンペーンなどがあります。
ジョンが「ベッド・イン」を行った1969年、アメリカはベトナムと戦争をしていました。そこでジョンとヨーコが考えたのが、平和をアピールすることに「新婚旅行」を使用することでした。スーパー・スター、ジョン・レノンが日本人芸術家と結婚し、記者会見するとなれば多くの報道陣が詰めかけるのは間違いありません。しかもふたりは、その記者会見をホテルのベッドで行うと発表しました。
一体このふたりは何をするんだろう? と世界中から記者が集まりました。ふたりは、興味津々の記者たちからいろいろな質問を受けましたが、それをすべて平和の宣伝になるように答えました。ジョンは「誰にでもチャンスがあるように、平和にもチャンスがあっていいじゃないか」と、ベッドの上で「平和を我等に」という歌の録音もして、レコードとして発売しました。
「ベッド・イン」は、当時は笑われたり、バカにされたりもしましたが、ふたりはひるみませんでした。戦争に対して、平和的な方法で抗議を貫いたふたりの行動は、今では高く評価されています。芸術家のふたりは、平和活動もアート作品とすることで、政治に興味のない世界中の人々の関心を集めたのですから。
ジョンとヨーコの平和活動4 イマジン・ピース・タワー
連載第16回目:2011年7月16日付掲載
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの平和活動で最も素晴らしいのは、ジョンがこの世にいなくなってもその平和活動が続いていることです。たとえば「ドリーム・パワー ジョン・レノン スーパー・ライヴもその一つです。
ほかにも今から10年前の2001年、9・11アメリカ同時多発テロが起こった直後、ヨーコさんはニューヨークの新聞に「イマジン」の歌詞の一節「Imagine all the people living life in peace(すべての人々が平和に暮らしているのを想像しなさい)」を全面広告として掲載しました。また、07年にはジョンが大好きだったヨーコさんの作品を発展させ、アイスランドのビーズエイ島に「イマジン・ピース・タワー」が建設されました。これは光の塔で、24の言語で「平和な世界を想像してごらん」と刻まれた台座から、真っすぐな光の塔が浮かび上がるのです。毎年、ジョンの誕生日の10月9日から命日の12月8日までと大みそか、そして春の1週間に点灯されます。ヨーコさんは「世界の人々の心が、この光を思い起こすことでひとつになれればいいですね」と語りました。
そして、今年の7月30日から10月16日まで、ヨーコさんは広島市現代美術館で「希望の路」という展示会をします。1945年にヒロシマとナガサキに原子爆弾が落ちてから66年。広島から世界に向けて、ヨーコさんがどのように平和をアピールするのか、注目が集まっています。昨年ヨーコさんは人類平和に貢献したことで、第8回ヒロシマ賞を受賞しています。