ドリーム・パワー・コンサート
ドリーム・パワー・コンサートが始まった理由1 ジョンの思い受け継いで
連載第2回目:2011年4月9日掲載
毎年、東京・日本武道館で行われる「ドリーム・パワー ジョン・レノン スーパー・ライヴ」。このコンサートの最後はいつも、出演者と観客が一体となって「イマジン」という歌の大合唱で感動的に終わります。この歌は、ジョン・レノンというイギリス出身の歌手が40年前に作った歌です。
ジョンは人生の苦しみや悲しみ、そして、楽しさを歌にしてきました。愛と平和の大切さを歌い続けた歌手として知られ、その曲は世界中から愛され続けています。
なぜ「イマジン」が今も多くの人々に愛され続けているのかを考えると、このコンサートが始まった理由が分かってきます。
10年前、ジョンの歌が日本で歌い続けられるように、ジョンが作った歌を歌うコンサートを開催しようと思った人がいます。このコンサートの総合プロデューサーを務める斉藤早苗さんです。
斉藤さんはコンサートに出演してくれるように、多くの歌手に声をかけます。そのなかで、ミスター・チルドレンのプロデューサー、小林武史さんに出会いました。小林さんと斉藤さんは「たくさんの歌手が集まってジョンの歌を歌うのなら、なにか意味のあることもした方がいいね」と話しました。
そこで、斉藤さんはジョンが「人の役に立ちたい」と、コンサートで集めたお金を寄付するチャリティーをたくさんやっていたことを思い出しました。
「ジョンの歌を歌うコンサートなのだから、チャリティーにしよう」と斉藤さんは決めました。こうしてドリーム・パワー・コンサートは、チャリティー・コンサートとして、産声を上げたのです。
ドリーム・パワー・コンサートが始まった理由2 みんなが学校に通えるように
連載第3回目:2011年4月16日掲載
歌を歌うコンサートをしようというのが「ドリーム・パワー ジョン・レノン スーパー・ライヴ」の始まりでした。
そして、ジョンが恵まれない人たちのために、お金を集めるチャリティーをたくさんやっていたのだから、このコンサートもチャリティーにして、ジョンが考えたことも引き継ぎ、伝えていこうということを前回お話ししました。
さて次は、何のためのチャリティーにするのかを決めなくてはなりません。コンサートの総合プロデューサーを務める斉藤早苗さんは、仲間と考えました。
世界には1日1㌦以下で暮らす人々が12億人もいるといわれています。しかも、そのうちの2億4600万人は、生活するためのお金を自分で稼がなければならない子どもたちだそうです=ILO(国際労働機関)の最新の統計から。
ある国では、お父さんもお母さんもいなくて、住む家もなく、ゴミをあさって日々を暮らす子どもたちがいます。また、ある国では、親に売られてしまって、大人でも危険な仕事をむりやりさせられて一生を過ごす子どもたちもいます。
日本の子どもたちは当たり前のように学校に通っていますが、世界には、生きていくために働かないといけない子どもたちがたくさんいます。その子たちは、本来なら学校に通って、教育を受ける権利があります。でも、貧しいために学校に通えないのです。
斉藤さんは、こうした子どもたちのためのチャリティーにできないかと考えたのです。
ドリーム・パワー・コンサートが始まった理由3 広い世界を知るために
連載第4回目:2011年4月23日掲載
今日は学ぶことができないことが、どういうことなのかを考えてみたいと思います。
世界には学ぶことができなかったために、大人になっても文字を読み書きできない人々が7億5900万人もいるといわれています=2010年ユネスコ推計。私たちは、新聞や本などを通して、世界で何が起きているのか、世界中の人々が何を考えているかを知ります。しかし、文字が読めないと、知ることができないのです。
テレビを見たり電話で話したりすればいいと思うかもしれませんが、貧しい地域にはそれすらないのです。つまり、自分が住んでいる場所のこと以外、ほとんど知ることができないのです。
貧しくて勉強することができなかったり、戦争で家や家族の命が奪われたりしている地域の子どもたちは、他の地域のことがわからないため、それが当たり前だと思ってしまっています。みなさんも、世界のことを知らなければ、世界中のみんなが自分たちと同じように暮らしていると思ってしまいませんか。
文字を読めるようになって、世界には自分たちとは違う暮らしがあると知れば、自分たちの住む地域を良くしたいと思うかもしれません。いろいろなことを学んで、考える力を身につけられたら、なぜ貧困や戦争がなくならないかを考えることができるでしょう。
子どもたちが勉強し、世界を知ることができるようお手伝いがしたい、学校を贈るチャリティーができないだろうか——。これがドリーム・パワー ジョン・レノン スーパー・ライヴに込められた思いなのです。
夢の力1 夢が世界を変える力に
連載第5回目:2011年4月30日付掲載
世界の子どもが勉強できるように、学校を贈るチャリティー・コンサートができないだろうか。
そんな夢を持ったドリーム・パワー・コンサート総合プロデューサーの斉藤早苗さんは、ある人に提案します。故ジョン・レノンの夫人、オノ・ヨーコさんです。
ヨーコさんは、世界的に有名な日本人の芸術家です。ヨーコさんはジョンと出会う前から、たくさんの国で芸術活動をしていました。ロンドンで展覧会を開いたときにジョンがやってきて、ふたりは出会いました。それからというもの、ふたりは特に世界の平和のために歌を作ったり、コンサートを開いたりしてきたのです。
そんなヨーコさんは、斉藤さんの提案をとても素晴らしいアイデアだと共感しました。そして「どんな小さな夢でもひとりひとりが夢を持つこと。それが世界を変えていく力となる」というテーマを考えてくれました。
また、コンサートに「ドリーム・パワー」という名前も付けてくれました。英語でドリームは「夢」、パワーは「力」。ドリーム・パワーとは「夢の力」という意味です。「子どもたちの助けになりたい」という、コンサートに参加する人たちの夢がひとつになって、世界の子どもたちの夢を叶える力となる——。斉藤さんはぴったりだと感じました。
学校を贈るという夢、そしてジョンとヨーコさんのメッセージがひとつになって、いきいきと動き出した瞬間でした。
夢の力2 地域が支える学びやに
連載第6回目:2011年5月7日付掲載
過去10回行われてきたドリーム・パワー・コンサートに出演した歌手や俳優、演奏者の数はのべ154人。贈られた学校は世界28か国に107校となりました。
さて、こんなにたくさんの学校をどうやって贈ってきたのでしょう。学校建設の準備は、どこの国のどの地域で学校が必要なのかを、詳しく調べることから始まります。世界の子どもたちを助ける活動をし、子どもたちの現状を調べている国際NGO(非政府組織)「プラン」と連携して、支援は進められます。
学校を贈る場所を決め、校舎を作るだけでは、まだ十分ではありません。教科書や机など勉強に必要なものがなければ、教材や備品を提供します。先生がいなかったり、足りなければ、先生を育てるプログラムを行います。学校を動かすしくみがなければ、地域の人たちだけで学校を支えられるようになるまで、お手伝いをします。
地域の人たちの力だけで、学校を動かしていけるようになることが、私たちは大切だと考えています。なぜなら、また学校がなくなって、子どもたちが勉強できなくなってしまうことにならないように、と思うからです。
コンサートに参加するみんなの夢が着実に現実になってきています。ドリーム・パワー・コンサートによって生まれた学校で、廃校になってしまった学校はひとつもないのです。
夢の力3 想像してみよう
連載第7回目:2011年5月14日付掲載
国境がない世界とはどんな世界でしょうか?
みなさんも想像してみましょう。ある人は、国と国を分けている国境がなくなれば、国の間で争いがなくなって、人を殺し合うことがないんじゃないかなと答えました。そうしたら、みんなが平和に暮らしているところが頭に浮かびませんかと——。
自分のものがない世界とはどんな世界でしょうか?
あなたに想像できますか? その人は「これは僕のもの、それはあなたのもの」と考えなければ、よくばったりしなくなって、みんなが家族のようになれるんじゃないかなと答えました。そうしたら、地球はみんなのものと心に感じませんかと——。
じつは、今、お話ししたことはジョン・レノンが考えたことで、40年前に「イマジン」という曲にしました。そう、以前、お話ししたドリーム・パワー・コンサートの最後でいつも歌われているあの「イマジン」です。
「イマジン」とは英語で「想像する」という意味です。ジョンはこの曲で「想像する」ゲームをみんなにしかけているのです。実際に「国境をなくそう」と言っているのではなくて、みんなで「国境がない世界を想像」するとどうなるのかと歌っているのです。さあ、みなさんも想像してみてください。そうしたら、このコンサートの最後でいつも「イマジン」が歌われている理由も分かってきませんか?
夢の力4 国境のない世界
連載第8回目:2011年5月21日付掲載
みなさん、ジョン・レノンが「イマジン」で歌った国境のない世界を想像してみてくれましたか?
ジョンは「ぼくのことを夢のような話ばかりしている人だと思うかもしれないけれど、世界中の人たちがよりよい世界になるように想像すれば、いつか夢はかなって、世界はひとつになるんじゃないかな」と、言っています。また「イマジン」を作曲したとき、ジョンは夫人のオノ・ヨーコさんの詩に大きな影響を受けたとも、話しています。
名曲「イマジン」のきっかけを作ったヨーコさんが、大切にしている言葉「ひとりで見る夢はただの夢。みんなで見る夢は現実になる」——ひとりひとりが夢を持つことは大切なこと。でも、同じ夢をみんなで持つことは、もっと大切なことだよと呼びかけています。
ヨーコさんのこの呼びかけに応え集まったたくさんの人たちと一緒に、ドリーム・パワー・コンサートは世界の子どもたちに学校を贈り続けてきました。
プレゼントされた学校で勉強した子どもたちのなかには、いまでは20歳を越えた人もいます。大人になった子どもたちは、それぞれの国で世界を変えていってくれることでしょう。国や国境を超えて、ヨーコさんが言っている「ドリーム・パワー(夢の力)」で結ばれているのです。
ジョンが国境のない世界を歌った「イマジン」に似ていると思いませんか? ジョンとヨーコさんの夢。みんなの夢。夢がひとつになって、世界がひとつになっていけばいいですね。みなさんも夢の力を信じて、想像してみましょう。ドリーム・パワー。
日本武道館 ロックコンサートに大反対!?
連載第25目:2011年9月17日付掲載
毎年ドリーム・パワー・コンサートが行われている日本武道館とはどんなところでしょうか。もともとは日本の伝統武道、つまり柔道や剣道を行う場所として作られました。
開館したのは1964年10月3日です。その年の10月20日から23日まで、東京オリンピックの柔道競技場として使われました。
日本武道館は全体を見ると、少しお寺に似ていますが、それもそのはず、奈良の法隆寺の夢殿をモデルにしているからです。そして、なだらかな屋根は富士山をイメージしたそうですよ。
こうして、日本伝統の武道を広め、心身を鍛える大道場として建てられた武道館ですから、ジョンがいたグループ「ビートルズ」がコンサートを行うことになったときは大変でした。「神聖なる武道館でロック・コンサートとはけしからん」と反対運動まで起こりました。
これに対し、ビートルズのメンバー、ポール・マッカートニーはこう言いました。「日本の舞踏団がイギリスの王立劇場に出演しても、誰もイギリスの伝統を汚したなんて言わないよ」
日本での記者会見で戦争について質問されたジョンは「戦争はいけないことだ。僕たちは、いかなる戦争にも反対だ。ただ、自分が何も出来ないのも知っている」と答えました。このときジョンは25歳でした。若者たちの落ち着いた受け答えに、日本の記者たちはすっかり感心してしまいました。
ジョンは「前から日本に来てみたかった」と語っていて、ジョンの希望が大きかったため、ビートルズの日本公演が決まったともいわれています。日本とジョンの長きにわたる深い関係はこのとき始まったのです。
そんなジョンにゆかりのある日本武道館、そして日本で、ジョンの遺志をついだドリーム・パワー・コンサートが、毎年、平和のために開催されています。いよいよ参加アーティストが発表されます。
ドリーム・パワー・コンサート当日、満席状態の武道館
八角形をした日本武道館
「こいしくん」と「こいしちゃん」 あなたが変わると世界も変わる
連載第27回目:2011年10月1日付掲載
今回はドリーム・パワー・コンサートの新しいキャラクター「こいしくん」と「こいしちゃん」をご紹介したいと思います。
「こいしくん」と「こいしちゃん」は小石族の出身です。オノ・ヨーコさんは小石族について、こう話しています。
「ふたりの科学者が波の研究をしていました。その研究によると、あなたがひとつの石を海にポトッと落としたとします。それがいくら小さな石でも世界中の海に影響するそうです。
私はそれを聞いて、こう考えました。みんなが小さな石だとします。そうすると、みんなが平和について少しだけでも行動したらそれは大きな波になるのです。それはやがて世界を変えるほどの波になります。
だから『僕たちが変われば世界が変わる』ってジョンが言ったでしょ。それは本当なんです。私の活動も小石を投げているようなもの。ジョンも私も自分たちの小石を投げていたんです。だから、あなたたちも小石を投げる小石族になってください」
みんながこの世界を良くしようと、ほんの少し思うだけで、世界は変わっていくとヨーコさんは言っているのです。
これは、自分のことにも置き換えられます。「きちんと勉強をしよう」「家の中を毎朝、掃除しよう」「嫌いなものも食べてみよう」とか、世界から見たらほんの小さなことでも、あなたが変わることで、世界は良い方向に動いていくのです。
みんながいつでも、自分が小石族ということを忘れないように、そして、みんなを応援するために「こいしくん」と「こいしちゃん」は生まれました。さあ、あなたも小石族の仲間入りをしませんか?